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HOME > 伯耆古城図録 ~日野郡篇~ > 城ノ尾丸

◆城ノ尾丸

 

【 概 略 】

伯耆国江美城の南側の出丸、宇佐木丸から白尾谷を隔てた南の丘陵に所在し、

伯耆国江美城の城主、蜂塚氏の家臣で藤井内蔵(藤井蔵人、藤江蔵人とも)の居城、或いは居館と伝えられる。

当城の西には字寺ノ段と云われる台地があり、居館や見張台と考えられそうな郭跡が残る。

 

日野郡史に収録の江美神社社記の項では城主について以下の記述が見える。

「城野尾と申処に藤井内蔵御在城にて其の家来に相見佐馬之介あり。大山椒魚を退治したことから字相見ヶ淵と申伝う」

 

同じく日野郡史に収録の江尾の江美城の項では藤井内蔵について以下の記述が見える。

「字城ノ上に在り。西に面し高岳なり。天文五年、蜂塚右衛門尉藤井蔵人居城。此の落城は陰徳太平記、日本外史に詳なり」

 

1564年(永禄7年)、あるいは1565年(永禄8年)の毛利方による伯耆国江美城攻略戦では銀杏ノ段宇佐木丸などが

攻略された記述は見えるが、当城の名前を見つけることはできない。

 

伯耆国江美城攻略戦が始まると毛利方への降伏は一切が許されなかった描写が陰徳太平記などに描かれていることから、

蜂塚氏滅亡後に伯耆国江美城の城主として藤井蔵人の名前が見えることは戦前より毛利方からの調略を受けていたか、

独自の判断において早い段階で降伏したことが伺える。

 

蜂塚氏滅亡後の当城についての詳細は不明。

 

白尾の地名の由来として江府町史には「白尾狐の伝説」が収録されている。

「白尾に留吉という白狐が住んでいた。白狐は神の使いとされ、留吉も神の使いとされた。

 夜になると老爺に変身し、村の正直者に施しをする役を言いつかり、真面目に務めていた。

 いつか太平山の狐仲間から誘われるがままに遊び回っていて、遊び癖がつき神の言いつけを忘れるようになり、

 神の怒りを買って元の野狐に色換えをされようとしたが泣いて謝ったので神様の使いは差し止め、胴だけを野狐に塗り替え、

 足と尻尾だけは白いままで許された。白尾はこれからついた地名である」

【 遠 景 】

寺ノ段からの遠望

寺ノ段の様子(東側より西側)

寺ノ段の様子(南側より北側)

【 縄張図 】

江美城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 概 要 】

名 称城ノ尾丸(しろのおまる)

別 名:城野尾丸(しろのおまる)

所在地:鳥取県日野郡江府町江尾

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:尼子氏…藤井内蔵

    毛利氏…藤井蔵人(藤江蔵人)

文 献:陰徳太平記、伯耆志、伯耆民談記、伯耆民諺記、

    江府町史(昭和50年12月発行:江府町史編さん委員会)、

    新修江府町史(平成20年6月発行:江府町史編纂委員会)、

    日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)

形 態:丘城

遺 構:郭跡、堀

現 状:畑地、山林

種 類:指定史跡なし

登城難易度⇒★★(普通)

【 地 図 】 日野郡内の城跡

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

蜂塚氏の家臣、藤井内蔵の居城と云われる。

天文5年 1536年

伯耆国江美城藤井蔵人が居城とある。(日野郡史 前編)

不明 不明 蜂塚氏滅亡後、毛利方の伯耆国江美城の城番に藤井蔵人の名前が見える。

【 写 真 】(訪問日:2016/12/18、2016/12/22)

登城口

登城道付近の郭跡を利用した段々畑?

登城道付近の郭跡を利用した段々畑?

沢を利用した堀跡?

段々畑の跡

白尾周辺

白尾周辺

白尾周辺

白尾周辺にあった高まり

江府町史の図示だと主郭周辺(推定)

主郭周辺(推定)

寺ノ段の見張り台(西側)

寺ノ段の見張り台(北側)

寺ノ段の郭跡(居館跡?)

寺ノ段の郭跡に虎口と土塁?

寺ノ段の郭跡(天竺屋敷と似た感じ)

西の見張り台へ

西の見張り台の堀跡?(水路に転用)

西の見張り台を囲む空堀跡?

西の見張り台

西の見張り台

西の見張り台の腰郭跡

西の見張り台の腰郭跡

北の見張り台の堀跡?(水路に転用)